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【喪服の歴史はコロコロ変わった?!】日本女性の喪服研究発表!!

一昔前、女性の喪服は結婚式に着ていたことをご存知ですか?葬儀用ではなかたんです。そこには日本中が悲しみに打ちひしがれた出来事がありました。ではその前はどうだったのか、過去から現在の女性の喪服を調べてみました。【上手な喪服の選び方】付録付き

女性の喪服

黒紋付きとも呼ばれる喪服は、女性の第1級礼装です。
ご存知の通り、葬儀にのみ着用する着物です。
その実態を皆さんはご存知でしょうか。
これまで気にも留めていなかった喪服を探ってみましょう。

女性の喪服の色

黒のイメージ

皆さんは、喪服の色のことを考えたことはあるでしょうか。
日本人の黒のイメージは、不幸、闇、暗黒、など明るく幸せなイメージはありません。
古来から、黒は邪悪な色、怨霊が潜む闇をイメージするものでした。
夜、提灯を持つのはそのためです。
元来、提灯は足元を照らす灯りではなく、生首だったんです。
闇夜に潜む怨霊たちに食われないために、人間は恐ろしいものだと怨霊たちにアピールしていたのかもしれませんね。

では、白はどうでしょう。
白無垢やウエディングドレスなど、明るく幸せなイメージばかりだと思います。
黒の反対色の白は、「夜」や「闇」に対して「昼間」、「不幸」に対して「幸福」、「邪悪」に対して「清らか」なイメージです。
でからほとんどの人は、喪服の色は黒が当然で違う色があったなんて考えもしないと思います。
でも、実は皆さんもどこかで目にしているはずです。黒ではなく、白い喪服を。
そして、不幸の席で無縁なはずの白が中央でドーンとかまえているところを。

そうです。女性の幽霊が着ているこの衣装です。
もちろん、刀などは持ちませんよ。
ちょっと元気がありすぎますが・・・(´・ω・`;)、皆さんも見たことありますよね。
映画「おくりびと」でも見た人がいるかもしれません。

この写真の衣装、時代劇で見たことないですか?
これが江戸時代の女性の喪服になります。
幽霊とほとんど一緒ですね(^-^)
でも、何で白から黒になったんでしょう。

女性の喪服の歴史

喪服のルーツ

幽霊さんの着ている衣装、つまり死者に死者に白い装束を着せるのは古くからのしきたりです。
これは神代の時代、日本武尊が亡くなったとき、その陵から白鳥(しらとり)が飛び立って天空を舞ったという話に由来するものと思われます。
そして奈良時代、 天武天皇の亡くなったときに、遺体を安置してある殯(もがり)の宮のまわりに白絹の幕が張りめぐらされあったという記述がありました。
どうやらここから喪服の色は白となったようです。

平安時代の女性の喪服

平安時代になると、喪服の色が指定されました。
この時指定された色はグレー。
なぜグレーかというと、とんだ勘違いからだったんです。
喪服の白はもともと中国の方式に従ったものでしたが、色を表す漢字の解釈を間違えてグレーにしてしまったんです。

ただ、人前に顔を出したり、部屋から出ることがほとんどない女性は喪服らしいものはなかったようです。
とはいえ、華やかなものは控えたと思いますし、きっと着る気にもならないでしょう。
女性が白い装束を着るのは、死者と出産のときだけでした。
この写真は出産のときを再現したものです。

一方、男性はちゃんと喪服がありました。
男性はグレーの装束で、死者との関係の深浅により最長13カ月もの間、喪服を着続けなければいけなかったようです。
そのグレーが次第に黒に変わっていきます。
風流人の平安貴族たちは、悲しみの深さを色で表したんです。
色が濃ければ濃いほど故人を亡くした悲しみを表現していたんですね。

喪中、喪服の色を濃い黒から徐々に薄いグレーの喪服に替え、悲しみの変化を表していました。
平安時代の趣や雅さは、こんなところにまで反映されていたんですね。
でも、一年近くも喪中だなんて、良いのやら悪いのやらですね。

貧富の差が激しいこの時代、黒く染めた喪服を着るのは貴族だけで、庶民は男性も女性も白のままでした。
染める手間を加えた黒い布は庶民にはとても高価なものだったんですね。
奈良時代には首都の内部に墓を作ることが禁止されており、天皇や貴族といった特権階級のお墓であっても京の外に作られました。
そのためこの時代になっても庶民にはお墓はなく、京の周辺の野山や河原に葬られていたようです。

室町時代の女性の喪服

室町時代、喪服は再び白に変わります。
これはおそらく、貴族が没落したためのようです。
庶民はこの時代も白のままで、貴族が没落したために白が表舞台に出たのでしょう。

2013年 フジTVドラマSP「女信長」より

この時代、男性は直衣や直垂、女性は小袖が主流でした。
そして古来から日本は男尊女卑の考えが深く、喪服も男性は高価な黒、女性は安上がりな白い喪服だったようです。
こんな差別、今なら絶対ありえない話ですよね。

なお、室町時代、喪服は再び白に変わります。
これはおそらく、貴族が没落したためです。
平安時代、喪服をグレーや黒にしたのは貴族だけで、庶民は白のままだったようです。
そのため、白が表舞台に出たのです。

一般に喪服に黒が用いられるようになったのは、明治維新からです。
西洋にあわせたのです。
中国では今でも葬式には白いネクタイをするそうです。

江戸時代の女性の喪服

江戸時代になっても、今のような葬儀や告別式はなく、野辺送りが葬儀でした。
この時代になると女性も表に出るようになり、女性の喪服が明確化してきました。
庶民も豊かになり、女性も喪服を着るようになります。

そこには農民の自立や一家の確立、先祖崇拝という流れができていて、 葬儀と仏教がセットとして幅広く世間に広まったことから葬儀の規模が大きくなっていきます。

明治時代の女性の喪服

明治時代に入ると喪服はまたも黒になります。
明治政府の外国に追いつけ追い越せの「欧米化政策」に伴い、日本人の生活様式も西洋化していきました。
しかし和装では白い喪服のままでした。
ところが日清・日露と大きな戦争が続くと葬儀も毎日のように行われ、白喪服では汚れが目立ちます。
黒なら汚れが目立たないからという理由と西洋のしきたりに倣い、当時の貴族達は黒の喪服を着るようになりました。
しかし、一般に広まったのは第二次世界大戦後からになります。
当時の喪服専門の貸衣装屋が、やはり汚れが目立たないからという理由で喪服を黒に統一し、今に至っています。
つまり、今の喪服の歴史は100年程度なんですね。

黒留袖のルーツは喪服?

黒の喪服は御葬式以外で着ることはないと思っていませんか?
実は、まだ喪服が白だった時代、結婚式には喪服が着られていたんですよ。
といっても、オール黒ではありません。
帯は華やかなものをつけていました。
それが黒の喪服が葬儀用と決まったために結婚式で着られることはなくなりました。
そこで登場するのが黒留袖です。

白無垢が喪服に?

白無垢が喪服だった時代があったのをご存知ですか?
かつて日本の女性は、婚礼で着用した白無垢を大切に保管しておき、その後最愛の連れ合いが旅立った時、白いまま袖を詰めて喪服としたそうです。
最後は本人の死装束として着たそうです。
実はこの「白喪服」現在でも実際に使われているところもあるそうです。
大正時代の東京を舞台に描かれた漫画「はいからさんが通る」の中でも、主人公の花村紅緒が、シベリアで戦死したと伝えられた婚約者の伊集院忍の葬儀に、「二夫にまみえぬ」つまり二度と結婚はしませんという決意を表すものとして、「白喪服」を着るシーンがありました。

女性の白い喪服には、「二夫を交えず」との意味が込められています。
亡くなった夫への操だて、つまり他に夫は持たないという健気な女性の心情を表したものです。

女性の喪服には特別な意味が

女性にとって、喪服は葬儀用の着物以外に意味があるのをご存知ですか?
少し前まで喪服は嫁入り道具の一つでした。
実家の家紋を入れて、それを携え御嫁に行ったんです。

写真は女性用の夏冬の喪服です。
どちらにも家紋が5個ついていますよね。
この家紋が大事なんです。
背中の家紋はご先祖様を表し、両胸の家紋は両親、両袖の家紋は兄弟・親戚を表し、「どうか娘をお守りください」という一族の願いが込められているんです。

喪服は本来、19歳の厄年に厄払いとして用意するものです。
紋は魔よけの意味があり、近づく邪気を祓うお守りのようなものです。

そしてもう一つ、家紋は身分の高い者にしか使うことが許されませんでした。
ところが明治時代に入ると、一般庶民にもその使用が許されることになります。
それによって庶民にとって家紋をつけることはステータスだったんです。
「どこの馬の骨」という言葉がありますが、嫁ぐ娘に家紋の入った喪服を持たせる理由に、「この娘はどこの馬の骨なんかではなく、れっきとした家紋のある家の人間なんだ」という意味合いもあるんです。
娘を軽んじで無下にしないでほしいという親の願いですね。

喪服の選び方

喪服はどれも一緒と思っていませんか?
もし葬儀のときの写真を持っている方はよく見てください。
何が違うかわかりましたか?
黒がずらりと並ぶ中、ひときわ目立つのが色です。

ひとくちに「黒」といっても染色方法によって微妙に「色の深み」や「やわらかさ」などが違ってきます。
染める回数や染め方によって黒の色合いはかなり違ってきます。
2回や3回染めただけでは深い黒は出せません。
女性の喪服は男性の喪服よりもはるかに周囲の目を引きます。
それに黒の深さは悲しみの深さを表しますので、しっとりとした深い黒を選ぶことをお薦めします。

ちょっと青みがかって見えますが、両方黒紋付きです。
このように黒は黒でも染め方と染め数で色は違ってきます。
女性の黒は深くしっとりとした黒を選びましょう。
選ぶときは1つの物を見るのではなく、数点を並べて見比べてましょう。
色の違いがはっきりします。

最近では、黒に染めた反物を薬品を使ってより深い黒を出している物が主流ですが、 昔ながらの「紅下・藍下」の場合、一度「紅色」や「藍色」に染めた上に黒染めをする事で、 単に黒く染めただけの黒では出せない自然な深い黒を表現できるので、私はこちらをお薦めします。

なぜ深い黒をお薦めするかといいますと、葬儀や告別式は黒一色の着物です。
黒だと思って着ていても、隣の人がもっと深い黒の喪服だと、グレーに見えてしまいます。
深い黒に比べると薄い黒は品祖に見えてしまい見劣りしてしまいうからなんです。

縮緬

喪服に最適なのは縮緬でしょう。
仏事では光沢があるものは控えなければなりません。
しっとりとした縮緬は仕立てた時の黒の重さも違います。
女性の喪服は縮緬がお薦めです。

女性の喪服の色々

背中に一つ紋のついた女性の色喪服です。
亡くなった方との関係や場面により、喪の略礼装となる、茶、灰、藍、紫、エンジなどの地味な色喪服を用います。
生地は喪服同様、光沢のない縮緬が無難ですが、流水文、紗綾形文、網代文など慶弔両方に使われる物、または落ち着いた地味な色の江戸小紋であれば「鮫・行儀・通し」などでもかまいません。

遠い親戚なら一周忌以降、家族や喪主は三周忌以降なら色喪服で大丈夫です。
忍ぶ会などは、色喪帯にグレーなどの小物で黒を強調しない装いの方がいいと思います。
色喪服といっても出番は法事だけではありません。

写真のように帯を替えれば結婚式にも着られます。
無地は帯を選ばないのでコーディネイトが楽ですよ。
着物と同色の縫い紋なら子供の入卒にも着られる重宝者で、女性なら一枚は持っていると便利な着物です。。

喪服は奥が深かった

いかがでしたでしょう。
喪服がこんなに変わっていたことや意味があったなんて驚きですね。
日本人は何かにつけてその意味をつけたくなる生き物のようで、喪服を始め、女性の着物にはそのスタイルや柄にも意味があるようです。
この次は着物の柄の意味を探ってみたいと思います。

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